Wednesday, September 13, 2006

レム

スタニスワフ・レム の捜査をお風呂で読んだ。
最近、想像力の欠如を感じていたから、想像しまくってやる!と思って読んだ。
なんだか現代に生きる事が嫌になったりした。
テレビを見る人たち、もちろん真っ向から否定しない。カフェや旅先でもいい。対、人間と向かい合ってとりとめのない話をする。家族でも友人でも。言葉を発する行為をもっと大切にしたらいいんじゃないかなあなんて思ったりする。警部補と主任警部補の会話や統計学者と警部補の会話が、言葉を、意識を、自分の考えを相手に伝えようと、丁寧に、感情的に、本人から見れば理路整然と吐き出される。そう、話し、伝えてもなかなか他人には伝わらない。なのに何も伝えようとしなくて、家族だからって分かり合えるはずもない。だからといって簡単に、『そうそう、私もそう思う』とか『私も貴方とおなじよ』っていう会話は苦手だ。私は一度も、相手が話している事に共鳴出来たことがないし、自分と似ている人間さえしらないから。ある部分では気が合うとか、一方的に気に入ってる所とかあっても、全面的に気があったり、同じ感性だったりするひとに会った事はない。だから会話をしていて相手の言った事に全て同調する事は出来ない。自分の意見を言ってしまう。反論する事が好きな人もいるけど、それとは違う。ただ、自分の感じた事を言ってしまう。好き、嫌い、面白い、面白くない。自分の事は自分の言葉でしか話せないから。ただ、それだけのことだ。
私はあるブログに出会って、こんなブログが書ける人がいるんだって関心した。それまで、日常の事や自分の趣味やよくわからない雑多な事を自分以外の人に見せるために、公の場所に文章を書くなんて馬鹿みたいと、真剣に思っていたので、全く興味がなかった。
そのブログは、何も押し付けず、万人が読んでも嫌な思いもせず、個人的な感情が嫌というほどあふれてもいない。文章がキレイでその人の事は全く知らないのに、文章だけで引きつけられる。そんな文章を書ける日常を送っているその人のブログを私は尊敬してる。
あんなに馬鹿にしていた行動を、今はその人のブログのおかげで、自分も書いてる。誰に宛ててでもない。自分自身にたいする確認のため。日記は小学生のときから付けている。母に買ってもらった最初の一冊から持っている。日記とブログはこんなにも違う物かと最近思う。ここ何年か、日本語で日記を書くと辛辣になるし冷静でいられなくなる部分が出てくるので、英語で書いている。日本語で書いてもブログだと少し冷静になれる。ならなくちゃいけない気がする。今まで私に出来なかった自己抑制の練習。
レムの友達は気が長かったんだろうな。