Thursday, March 29, 2007

キラキラ

思考って<初めて>はどこなのだろうと考えてみた。
自分とは違う他の人間から何らかの違和感を覚えた時なのか、一人遊びをしている時の妄想なのか。それとも、人間ではない物、例えば、空やベビーベッドにぶら下げられたタオル地のぬいぐるみなのか。その他にも、生まれた病院の消毒液や看護婦さんの匂い。お母さんのおっぱいの触感はちょっと早いかな。
初めてキラキラを感じたときを覚えている。突然、いろんな人工的な音が沢山聞こえて、目を開けてられないくらいキラキラしてて、体の周りに何もなくなってものすごく広い空間にぽっかり浮かんでいる様な感じ。不安。だから泣くのかな。その時間はすごく長く感じたけど、すぐに温かな何かに包まれて安心して今までの事を全て忘れた瞬間。違う場所から違う場所に覚醒した時。体が思うように動かなくて、ちっちゃすぎてイライラした。言葉が、考えが、記憶が無数に散らばるのだけど、発する器官が機能しないもどかしさ。今でも油断していると頭の隅で蘇る。トラックにはねられて死にそうになったときも、盲腸が腹膜炎を起こして、「あと10分遅かったら・・・」って言われた時も、その時程の恐怖は感じなかった。
読んだ本に、人間は死を恐れているのではない。死に至る過程を恐れているのだ。と書いてあった。上手い事を言うもんだと思った。眠りに付くときより朝覚醒する時の方が不快なのはきっとそのせいだと。考える事だ。現実を自分で認識して手に入れる欲求があるのなら、考えるべきだ。全て自分で。右に行くのか左に行くのか。単純な事でも何でも、考える癖を付ける事だと思う。その認識の積み重ねが現実になる。もちろんそれが自分だけの現実でもかまわない。所詮、他人と共有出来る真実とか現実なんてひとつもないのだから。受け皿が違えば、発信元が違えば、同じらしく見える事象でも、すでに違う。自分らしく生きると言う事は自分の声と思考に耳を傾けて、探して探して見つからなくても探して。
他人の影響が思考の妨げになりそうな時は、何も語らず静かにその場を立ち去る事だ。結果を予測して考える事が必要な時とその必要がない時がある。仕事や社会や他人が関わらざる終えない時は最短で最大の結果らしき物を導く才能も必要だ。生きる術。でも、行き着く先の事や自分がそれらしく生きる為には、それは必要ない。<人生の結果>何て、明日もあさっても50年後も対して変わらないし、解るはずもないから。私は恥ずかしいという感じをあまり感じた事がない。何をしても結構平気だ。っていうか普通だ。ただ、他人が私を見たとき恥ずかしく感じる事があるのかもしれない。そういう表情を見る事は多い。本人にはよく解ってない。その時そうしたかったから、そう言いたかったからそうしてるだけだから。だから、いつも本来の自分を客観的に見て楽しむ事ができれば、カーテンコールまで楽しく生きれそう。なにぶん、周りの人の愛情が深いんだろうな。

Tuesday, March 27, 2007

瑣末

目の前にある現実が、ほとんど実態のない物に思えて不安になる。まだ、不安になる。それは例えば、ハレーションを起こす程とても天気のいい午後、カフェで誰かとコーヒーを飲んでいるとき等に突然訪れる。
それを始めて感じたのは子供の頃、庭に面したテラスで母に作ってもらったミルクセーキを飲んでいたとき。夏の暑さの中にグラスに付いた水滴が綺麗だなと思いながら、甘ったるくて冷たい飲み物を飲んでいた。逃げ水が見えた。この幸せな空間と、母の優しい声と、弟の間抜けな水泳パンツと、全てが愛おしく私の為だけにその世界が作られている様で、いつまでも続く私のその世界には輝きと特別しか存在しないがごとく煌めいていた。その日、私は午前中、庭のプールで泳いだ後で、ちょっぴりけだるく心地よい疲れを抱えていた。見るでもなしに目の前に広がるあるがままを見ていると、ノイズが走ってその画像がぶれた気がした。その瞬間、目の前に展開されているムセカエルような緑も、嘘みたいな空も、反射してよく見えない水面も、庭の木々の奥深い所に見え隠れする闇も、すべてが私を嘲笑っているように見えた。なんだろう?この感覚。そう思った瞬間、綺麗だったグラスの水滴は流れ落ちて水の線になり、グラスとテラスの板の所でただの迷惑な水たまりになって、持ち上げたら大好きなスカートの上にシミを作った。心地よかったはずの庭に面したテラスは、汗の嫌いな私に容赦なく風を運ぶのを止めた。そのとき思った。現実を認識しようとした私が、目の前の現実を疑ったから、仕返しされたんだと。気付いちゃいけない事に気付いたから、私のとっておきの時間が邪魔されたんだと。
記憶と思い出の違いがはっきり解る。私はこの鮮明なモノを記憶だと思いたい。思い出は都合のいい事ばかり思い出す。それがいい事でも悪い事でも。私は思い出をたどる事が好きなんじゃない。自分として個を認識した時からの記憶を探るのが好きなんだ。感情に左右されない記憶。私が生まれて4年目の夏の記憶だ。
その後、父がテラスに現れ、「僕にもミルクセーキをくれる?」と言いながら、私の髪を梳かしてくれた。その瞬間、また、水滴の綺麗なグラスが目の前に現実として現れて、私の世界に光が戻った。その時から、目の前の現実というものを信用しなくなった。全ては私の記憶と呼ばれる電気信号の狭間で起こっている事なんだと。それが、幾千の光になって存在しているだけなんだと。だから、母が亡くなっても何も変わりはしないんだと。だから、私は目の前の瑣末な現実とやらに左右されなくなった。こっそりほくそ笑みながら。

Saturday, March 24, 2007

ろうそく

哀しい事。
例えば、雨の中の小鳥。首輪のないイヌ。しっぽの先がちぎれた猫。枯れたドラセナ。太陽のあたらない花壇。空気の抜けた自転車。坂道の下のスケートボード。それは全部嘘で本当なんてなんにもない。小鳥は水浴びが好きで、野良犬は自由で、個性的な猫と、楽になれた観葉植物と、ミミズの喜ぶ花壇と、重たいお尻に乗られなくていい自転車と、こわがりなので坂道の上が嫌いなスケートボードの事だ。
わたしが勘違いしている事と言えば、それらが私ではないという事。
解ろうとしても解り合えず、触れ合おうとしても触れる事の出来ない、感触すらないもの達。距離感さえ定かでなく、そこにあるようであるのかすら怪しい。私が見ている雨粒と、カエルが見ている水たまりに何の違いがあるのだろう。暗闇のキャンドルが、今、灯されたばかりでこれからの素敵な食卓への期待を感じさせるのか、部屋で灯りを得るものがそれしかないのか、それとも、誰かの為の平和な眠りのためなのか。それだって、間違いだらけだ。キャンドルでの素敵な食卓は現代人が演出するからこそ素敵な食卓な訳で、マリーアントワネットにとっては、当たり前のことだし、部屋で灯りを得る事も、ろうそくで灯りをとれる家は裕福だった時代もあるし、誰かの平和な眠りのためでも、平和の眠りが何処にあるのか誰にもわからない。嘘ばっかりだ。移ろいやすく、壊れやすい。あなたも、わたしも。

Thursday, March 22, 2007

静かに

静かに考える。静かに生きる。静かに日常を繰り返す。
考えて考えて答えが出なくても、答えなんか出さなくてもいい。ただ、静かに生きていきたい。そんな風に言うときっといつもの私を目にしている人は信じてくれないだろう。世界が平和でありますようにとか、隣人と仲良く出来ます様にとか、いろんな事があると思う。ただ、それでもただ私は基本に忠実にただ日常を繰り返してみたい。多分贅沢な話なんだろうとおもう。する事がない人も、誰かに逢いたくても逢う人がいない人も、家族も友達も誰一人存在していない人も沢山いるんだと思う。誰と比べても何が正しいかも今はおいといて、ただ、静かに暮らしたい。ありがとうを沢山言いたいと思う人がいる事も、こんな私でも必要としてくれる人が沢山いてくれるのも、本当にありがとうだ。解ってる。でも、ただ静かに本を沢山読みたい。ただ静かに絵が見たい。ただ静かにコーヒーを煎れたい。ただ静かに猫と昼寝をしたい。ただ静かに雨粒が流れ落ちるのを見ていたい。ただ静かに風の行く道を見続けたい。ただ静かによせる波の数を数え続けたい。とにかく静かに。私の存在が見えなくなったらいいと思う。誰にも気付かれず、誰にも影響を与えないくらいの空気よりも軽い存在になれたらきっと思いっきり一人になれるのに。それはきっと贅沢なんだろう。だからといって贅沢を否定する事もない気がする。みんなの事も仕事もきらいじゃないよ。ただ、私には一人になれる時間のバッテリーがついてて、それが今、10%をきってしまったんだ。それに、電源につないでなかったんだよ。だから、もうバッテリーがキレそうなのだ。充電しないとどんなに高性能なブックでも使えなくなるでしょ?そうなったら、ただの銀色の箱じゃん。だからね、充電するときは静かにしないといけないんだ。もちろんバックアップもとってないから。そんなに気が利くひとだったら、自分のペースでさぼりながら生きれるでしょ。私の場合、それが出来ない。いつも、誰かが、名前を呼ぶ。いろんな名前で私を呼ぶんだ。お母さんが付けてくれた名前じゃなくてね。いつからそんなに増えたんだろうね。

Thursday, February 15, 2007

春一番

が吹いたらしい。いや、ふいていた。この間植えたムスカリが、斜めになって耐えていた。フリージアは全然伸びないなあ。あれはもっと時間がかかるのかもしれない。枕のせいなのか解らないけど、最近、左肩がゴチゴチだ。おまけに目の奥も痛くて、結構、ガタツイている.今日もすこぶる天気がよくて、びっくりするくらい青い。フィレンツェの工房でダヴィンチの手稿からマシンを再現している木工職人さんがいて、ちいちゃい頃、ダヴィンチの設計図に出会って感動したらしい。それが原動力となって今はその作品を40個くらい飾った博物館もつくってしまった。ニコライさんっていうんだけど、ニコライさんの話では、設計図の中に投石機があって、どうしても主要な部品の設計図が見つからない。それで、諦めて他のページをめくっていくと、10ページ先の他のマシンの設計図の所にその部品が書かれてあった。その事がまた、ニコライさんにの心に響いたらしく、のめり込んで行ったそうだ。ダヴィンチって誰なんだ?何者なんだと思ってしまう。変わった奴だなあとは常々おもっているが、なんなんだとも思う。すごく昔の人なのに、未だになんだかすごい感じだし、実はその当時はダヴィンチとしては、別段やりたかった事をやっちゃってただけで、後世の人々が、盛り上げただけなのか、はたまた、やっぱり何はともあれ本当にすごいやつなのか。ともかく私では考えつかない思考をしていたんだろうな。おまけに、それをきちんと書き残してる所がすごい。ただのメモ魔って感じでもないし。今度、フィレンツェに行くときは、絶対ニコライさんとこに行ってみよう。実は私もダヴィンチのすごーく分厚くてやたらでかくて、やたら古くさい本を持っているのだけど、まだ、それさえ全部読んでない。

Friday, February 02, 2007

雪が降っている。降っていた?
雪の結晶っていうのは、顕微鏡で見えるんだっけ?それとも肉眼?いや、電子顕微鏡レベルだっけ?後でちゃんと調べてみよう。そんなことも忘れてるのに、雪の結晶の画像はクリアーに記憶されている。そうか。やっぱりそういうのを研究したり大きな画像で見せてくれたりする人たちがいてくれるからだな。この間買ったお気に入りの本で、SMALLER MAJORITYというちっちゃい昆虫やカエルやキリギリスを撮影した本があるのだけれど、その中にも今まで見た事もない昆虫が2−3種、載っていた。図鑑大好き幼年期を過ごした私は、昆虫図鑑のクモさんの所をステップラーで止めて、それ以外の所をなめるように見ていたが、そこに、この子はいなかった。よくよく読んでみると、この作者が発見した新種らしい。おー!世界中で発見されてるキリギリスは、おおよそ30%位なのだとか。へー。どこにいけばいいんだろう?コスタリカとかニューギニアとかにいるのかな?
いろいろな物や夢が現実になると、現実に夢が負けちゃったみたいでちょっと寂しいな。追求したいけど知りすぎたら寂しいなんて、本当にわがままだなあ。
昨日、友達と話していて、あり地獄は500円硬貨くらいの巣の中にいるちっちゃい虫だと知った。神社の裏とかの地面になぜかいるらしい。二人とも違う場所で育ったのに二人とも神社とかのって言ってたのが不思議だ。
とにかく、私はちゃあんと図鑑で見ているし、あり地獄のシステムも知っているのに、本物をみた事がなかったせいで、本当にショックだった。私の中のあり地獄の巣の大きさはタライくらいあって、そうして子猫や子犬も近づくと危ないくらいの規模だった。そういって残念がってたら、「だったら、子供達も指とか腕とかやられちゃうじゃないですか」「おまけに、そのあり地獄はなんの幼虫なのでしょう?」と冷静に突っ込まれて、またまたショック。「いいじゃん、そんなの。なんで色々な関連性を考えてあり地獄の想像をしろっていうんだよ」って逆ギレしたあげく、「君たちは神社の裏かなんだかで、本物のあり地獄を見たからそんなに想像力のない大人になったんだよ」と。あーあー。でもさっ、違う規模のあり地獄があったっていいじゃん。おまけに、近場の神社で見たのはそうだったけど、世界中の神社仏閣の裏庭か、はたまた不毛の地とか、前人未到の地に行ってから、私の想像を拒否してくれ。ちょっと本物をみただけで、なんだよ。それに、それが本物って誰がいったんだよ。へんだ。

Thursday, January 25, 2007

感想

最近、いろいろな物を批評?する感じのブログとかを目にする。例えば家電とか本とか映画とか。家電とかは例えばプリンターはここのこれを使ったら結構良かった。とかカメラはこの値段だったらこれがいいかも。とか。そういうユーザーが実際使用してみて(身銭を切って)教えてくれるのはとてもありがたいと思う。だって、洗濯機とかすぐに買い替えれるほど裕福ではないし、というか、そんなに買い替える物でもない物にかんしては慎重かつ校正なリサーチ?って必要なのかも。まあ、私は結構デザインとかで選んでしまって、うっこの掃除機、全然吸ってくれないじゃん。とかやっちゃうけど、それはそれで自分で選んだ物だから愛着わいたりする。本は自分の知ってる人とか、ちょっと尊敬してる人とか、その道のプロとかにお勧めされると読んじゃったりする。けど、これもまた勧められても絶対読まないジャンルもある。だから、人の意見はそれぞれってことでいいとおもうんだよね。ただ、面白い所とか素敵な所は見つけられると思う。例えば、ストーリーは好きだったけど、リズムが合わない。ストーリーはいまいちだけど、小気味よくて気持ちよかったとか。映画の酷評がしてあるブログとかがあるけど、いまいち賛同出来ない。そりゃあ、ストーリーもキャストもカメラワークもテンデダメっていう映画もあると思うの。でもさ、その中に、アー衣装は良かったよねとか、あの部屋に飾ってあった絵が良かったよねとか。どこかに何かないのかなあ?私は映画館に見に行くのが好きなので、忙しいなか出かけたのだから楽しもう!と思う。まずそこから始める。そりゃあぶっちゃけオイオイっていう作品もあるけど、ある程度楽しめる。まあ、これも絶対見ないジャンルがあるからなんでもオッケーって訳じゃないけど、逆に何でも見て文句言ったりしない。それと、楽しみ方って言うのもいろいろあると思うんだよね。今、マリーアントワネットやってるけど、見に行こうかなと思ってスケジュールチエックしようとしたら、すでに、貧困のなかあんな王妃様がいたら反乱おこしたくなる。本当の貧困やパリが描かれてない。って☆一つとかで怒っている人がいたけど、あの映画って始めっからそんなこと言ってる訳じゃないんじゃあないだろうか。私はただ、ベルサイユの調度品やキルスティン・ダンストがマリー?ってかわいいじゃん。とか、きっとドレスや靴やマカロンやケーキがすごくかわいいだろうなあ。とおもって見ようと思っていたので、その意見がカチンときた。断頭台に消えたお姫様の話なら嫌って言うほど知ってるから、別にまたそれを見たってしょうがないし、第一、そんな昔の事をいくら言ったって、ドキュメンタリーは撮れないんだし、もっと言っちゃえば、映画に真実は求めてないし。娯楽でしょ。おまけにフランス語じゃなかったって。おいおい。わたしはフランス語で映画を見れるほどフランス語に堪能ではないし、ソコつっこむならいっぱいあるだろ、そんな映画。と、思ってしまった。その人はどんな映画だったら五つ星をつけるのだろうと逆にお勧めの映画を教えてもらいたくなった。おまけに評論家を生業にしている人ならしょうがないんだろう。嫌いな物でも見たり食べたりして感想言ったりしてお金もらってる職業らしいから。そうじゃなかったら嫌な物見なきゃいいし、読まなきゃいい。おまけに、見る前から、だいたいこういう種類の作品なんだろうなってわかる方法はいくらでもあると思う。そのうえでそんな感想書いちゃうようならどっちにしても評論家にはなれまい。

Tuesday, January 23, 2007

誤字脱字

昨日、冷静なかんじで、スタッフから「オーナーが書いた所、誤字脱字が沢山ありましたよ」と言われた。いやいや、それって年末に書いた物じゃないのか?なんで今頃言うんだ!と思って問いただしたら、「最近やっと読んだもので。」とこれまた冷静に言われた。おおおいっ!書いたので読んでおいてくれって頼んだのも、年末、あれを書いてすぐだったと思うが。恵まれない。というか、才能とは一つの体に2−3個宿るってことは、不可能なんだろうか。自分の事はもちろん棚に上げるが、というか、私の周りにいる人はアート系にはすこぶるいい働きをするが、一般的な事にどこかずれていらっしゃる。あの子も、この子も。しょうがないのだろうね。いやいやここでしょうがないと諦めるのは良くない。はず。絵を描くときはめんどくさいからと言って、変な(失礼)スティックタイプの菓子パンを鞄のなかから取り出してなくなるまでそればかりを食べたり(ひとつ頂いたがとても美味しくはない)約束した時間に絶対来なかったり、言われた事よりやりたいことを優先したり、プレス機が使えないからってイライラしたり。幼稚園ってこんな感じなんだろうか。まあ、悪気が全くないのがせめてもの救いだが。わたしは本当にこの人たちと比べるととても普通。誤字脱字ぐらい君らから比べるとそんなにたいした事じゃないよ。ふん。

Friday, January 19, 2007

水漏れ、いやお湯漏れ。

私の部屋は、買う時に2LDKを1ルームにしてしまったので、ちょっと変な所に電気温水器がある。確かに無謀な設計変更をしたからしょうがないが、玄関を入って右に曲がった廊下の突き当たりに、ご大層に観音開きの扉があってその中にこれ又ご大層に電気温水器が入っていらっしゃるという表現がピッタリなくらいに鎮座ましましている。うーん。最近玄関あたりが湿気ているので靴箱の靴がちょっと嫌な感じだったので冬だからしょうがないのかなあ?外気との温度差?とか思っていた。がっしかしもしかしてと思い例の観音開きを開けてみてちょっとびっくり。なんだかお水を排出するらしき管が抜けていた。おー。犯人はこいつか。お湯の蒸気かなんかしらんがそいつを排水溝に導いている管が抜けている。もちろん湿気がたまる訳だ。そんでもって温水器の下にももれた水が溜まっていた。ひえーっ。ということで昨日寝たのは3:30。映画をみたり本を読んだりして起きている分にはそんなに疲れないのに、今日はぐったり。もうすでに眠い。これが気の持ちようというものか。と、学校に行きたくない時にばっちり熱を出せてた幼い日を思い出す。うーわたしって。

Thursday, January 18, 2007

つらら

テレビを見ていたら、カリフォルニアでオレンジにつららがついていた。オレンジにつららとは初めて目にしたのでなんとも違和感があった。でも、キレイでもあった。シュワちゃんには申し訳ないけど結構オブジェってて素敵だった。というか、ターミネーターがオレンジの心配しているのも、なんだかまだ、変な感じだ。
ニューヨークも突然寒くなったらしく、友達から「まだ来るな」というメールをありがたく頂いた。春先まで待てという事。まっいっか。スタッフのUが、朝からうろうろと何かを探している。何だろうと思ったら、CDのレコーダーだという。結構大きい物だが彼にとっては案外と小さい物らしい。外した事までは覚えているがその後どこに片付けたのかがわからないらしい。29歳にしてそれか。まあ、気長に探すといいさ。でも、私の会社でのランチ担当は彼なのでそろそろその事も思い出していただきたい。朝のコーヒーが私の胃を溶かして来た。レコーダーと私のランチとどっちが大切なんだ。もう少し様子を見て叫んでみようと思う。彼が気がつくのと、私が叫ぶのとどっちが先なんだろう。あーお腹がすいた。

Tuesday, January 16, 2007

ってことは、

仕事とプライベートの使い分けが少し下手だと思う。会社勤めではないので難しいのは分かっているのだけど、上手に出来る事にこした事はないと思う。きっと、できる経営者っていうのはそういう事も上手なんだろうな。時間を有効に使えないっていうのは根本的にアウトなんだろうと思うが、本当に難しい。仕事中はなにかと他の事が気になったりやりたくなったり、お家に帰ると映画を見ていても仕事の事を考えたり。逆にならない物か。あせって仕事をしても、落ち着きなくプライベートを過ごしてもなんだか疲れる。自分の時間配分できっちり生きてる人を見ると本当に尊敬する。忙しいはずなのに素敵な庭を持っていたり、忙しいはずなのにご夫婦でゴルフをしたりコンサートに行ったり、案外忙しい人の方がプライベートも充実しているんだろう。ってことは、私って、

Tuesday, January 09, 2007

仕事始め

世間ではもうとっくに仕事始めなんだと思う。
私は今日から。今年の目標は時間がないを言い訳にしない。にしてみようかな。
マリアカラスのアリアが流れて来た。でも、これはトム・ハンクスが主演したフィラデルフィアのサウンドトラックの中に収録されているバージョンだ。この映画の好きなシーンで好きなアリアが使われている。上手いなと思った。サウンドトラックって良い物はいい。キューブリックなんて映画もいいけど音楽を使うのがとても上手いと思う。バニラスカイのサウンドトラックも好きだ。
仕事始めなのに早速、映画の話か。一日一日大切に。もうすこし自分のために時間を使いたいな。でも、必要とされてたりしなければならない事があるってことは、きっと幸せなんだ。いつか、いてもいなくても、ましてや存在しても役に立たない時が来るのかな。人の役に立つとか、誰かのためになるとかそんな事でしか価値観を見いだせない私の考え方に、少し、うんざりする時がある。自分のためになる事を考えてもいいのに。なんだか自分のためだけだと燃えない。この性格も変えたい。変えれる物なら。こういうのって心理学者の人とか精神鑑定をしてくれる人がいたら、どういう風に分析してくれるのだろう。本当は自己顕示欲が満たされていないだけで、人のためにではなくそうする事で自分の存在を確認してるだけの自己満足の現れであるとか、言われちゃうのかな。うーん。自分の事はいつまでたってもよくわからん。