哀しい事。
例えば、雨の中の小鳥。首輪のないイヌ。しっぽの先がちぎれた猫。枯れたドラセナ。太陽のあたらない花壇。空気の抜けた自転車。坂道の下のスケートボード。それは全部嘘で本当なんてなんにもない。小鳥は水浴びが好きで、野良犬は自由で、個性的な猫と、楽になれた観葉植物と、ミミズの喜ぶ花壇と、重たいお尻に乗られなくていい自転車と、こわがりなので坂道の上が嫌いなスケートボードの事だ。
わたしが勘違いしている事と言えば、それらが私ではないという事。
解ろうとしても解り合えず、触れ合おうとしても触れる事の出来ない、感触すらないもの達。距離感さえ定かでなく、そこにあるようであるのかすら怪しい。私が見ている雨粒と、カエルが見ている水たまりに何の違いがあるのだろう。暗闇のキャンドルが、今、灯されたばかりでこれからの素敵な食卓への期待を感じさせるのか、部屋で灯りを得るものがそれしかないのか、それとも、誰かの為の平和な眠りのためなのか。それだって、間違いだらけだ。キャンドルでの素敵な食卓は現代人が演出するからこそ素敵な食卓な訳で、マリーアントワネットにとっては、当たり前のことだし、部屋で灯りを得る事も、ろうそくで灯りをとれる家は裕福だった時代もあるし、誰かの平和な眠りのためでも、平和の眠りが何処にあるのか誰にもわからない。嘘ばっかりだ。移ろいやすく、壊れやすい。あなたも、わたしも。
